特別大雨警報、線状降水帯、90年に一度、、、、。
聞きなれない言葉を聴きながら、
このところ多くの時間をテレビとラジオで過ごす。
キュウリとナス、しし唐、ピーマン、、、最早収穫など忘れるしかない。
山へ上がる林道は、何処で土砂崩れや倒木があっても不思議ではない。
四十数年前の水害を思い出す。
「七夕豪雨」で先輩の一人は母親と共に裏山の土砂崩れの犠牲となった。
悲しいほど皮肉にも、
もう30分帰宅が遅れたら、少なくとも彼の命は助かった、、、。
そんな状況だった。
「少しでも命の助かる可能性の高い行動」も結果論か。
今日はテレビとラジオの一日になりそう。
七夕豪雨とは:
台風8号が梅雨前線を刺激したため、1974(昭和49)年7月7日~8日にわたり、
市内全域に集中豪雨をもたらした。
7日の午前10時頃より断続的に強い雨が降り、
山間部では午後11時からの1時間に降雨量が90mmを越すほどの豪雨となった。
そのため都田川は急激に増水して堤防が決壊、馬込川でも増水により
川沿いの地域で多くの家屋が浸水した。
白洲町(現:西区白洲町)や佐浜町(現:西区佐浜町)では崖崩れによって計4名の命が奪われている。
この豪雨による被害は大きく、災害救助法が発令され、自衛隊ヘリなどが出動した。
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